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鹿島神宮は茨城県の鹿嶋市にあります。
あの鹿島アントラーズのあるところですね。
鹿嶋市は小さい静かな街でしたね。
鹿島神宮は鳥居をくぐって中に入ると、大きな木がたくさんあります。
私が行ったのは夏だったんですが、中は涼しかったですね。
本殿を過ぎずっと奥に行くと奥宮があります。それも過ぎ、もっと奥に行くと要石があります。
この要石のところが一番パワーが有るようですね。
鹿島神宮入り口の鳥居 |
鹿島神宮入り口 |
鹿島神宮本殿 |
鹿島神宮奥宮。この奥宮の所も気が出ています。 |
要石の場所。この要石のところがよく気の出ているところです。 |
鹿島神宮付近の地図 |
遙かな神代の昔、高天原(たかまのはら) の八百万神(やおよろずのかみ)達は、我が 国を「天孫(すめみま)(天照大御神(あま てらすおおみかみ)の御孫)の治める豊葦原瑞穂国(とよあしはらのみずほのくに)」と することを決められ、これに先立ち、まず国中の荒ぶる神々や夜も昼も騒がしい世の中を 言向(ことむ)け平定(やわ)することが先決であると衆議一決しました。
「古事記」「日本書紀」によりますと、武 甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)は、宇宙自然の創世に成りませる陰陽の神、イザナ ギ、イザナミの両神より生まれた火の神カグツチより誕生された、とされています。
即ち原初の自然創世の頃に成りませる神であ ります。
息栖神社(いきすじんじゃ) は武甕槌命の娘「姫」と「天児屋命」が御祭神とのことです。
「姫」と「天児屋命」は夫婦です。
「天児屋命」はここで、岩田帯や日立帯のもとになる話をされたと言うことです。
また、「天児屋命」は春日殿・兵主命(つわものぬしのみこと)と鹿嶋神の両方を継ぐことになり、中臣氏、藤原氏の祖です。
アクセス |
《車》
カーナビによっては目的地設定を「鹿島神宮」とすると裏手の関係者道路に迷い込んでしまいます。気をつけてください。 《電車・バス》
※鹿島線は1時間に1本程度しかありません。 |
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駐車場 |
第一駐車場:60台(有料) 鹿嶋市宮中2306-1 表参道突き当り大鳥居脇
第二駐車場:55台(無料) 鹿嶋市宮下2-8
臨時駐車場:330台(正月・祭礼時のみ:有料) 鹿嶋市宮中1-13
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その他
遠くの方は東京または茨城空港まで飛行機で来て、電車・バス・自動車で向かうことになりなす。
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古い神社の事を知るためには、ホツマツタヱで知っておくことは欠かせません。是非読まれることをおすすめします。
ホツマツタヱは日本が漢字を使い始める前に書かれた書物で、「ヲシデ」と言う神代文字で書かれています。
書き方は七五調で書かれており、現代の日本人には読めませんし、普通の人は意味も分りません。それで、
この「はじめてのホツマツタヱ」シリーズでは、完全に現代語訳されています。そして、下の方に神代文字で書かれていた語を「カナ文字」で書いて有ります。
ホツマツタヱでは、今まで記紀に書かれたいたがよく意味が分らなかったことでも、解るようになるでしょう。
ホツマツタヱには、神様がどこそこを触って子供が生まれてきた!
などというようなおかしな事は書いてありません。
これは、古代・神代に天皇の先祖達がおこなってきたことの記録のような所があります。
はじめてのホツマツタヱ 天の巻 は、古事記の原点とも言われる神代文字で書かれて書物です。 もちろん「はじめてのホツマツタヱ 天の巻 」は、現代人が分るように、現代語で訳して書かれています。 書き方は、前編七五調で書かれ、全40アヤ(章)有ります。 天の巻は、1アヤ~16アヤまでで、天地開闢から天照大御神の時代までが書かれています。 |
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はじめてのホツマツタヱ 地の巻 は、伊邪那岐命や天照大御神から、ウガヤフキアワセズの尊まで書かれています。その次が神武天皇になるわけですね。 はじめてのホツマツタヱ 地の巻 は、17アヤから28アヤまで書かれています。 古事記や日本書紀とずいぶん違う部分があると思いますから、面白く読めます。 |
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は、神武天皇から景行天皇・日本武尊まで書かれています。それと、ホツマツタヱが献上された経緯などですね。
第一代天皇の神武天皇から第十二代天皇の景行天皇まで詳しく書かれています。日本武尊の活躍なども良く書かれています。 神武天皇の東征もここで書かれています。なぜ神武天皇が九州にいたのか?、なぜ神武天皇が東征しなければ成らなくなったかなどですね。 |